• 子ども科学実験教室

6月 (前回から続く)…これは大変とばかりに教育機関が新しい学力観に基づいて対応を取らねばと焦りに焦って打ち出されたのが新教育課程というやつでした。確かに、新学習指導要領の序文には、改定の意図として、その危機感と理念がしっかりと刻み込まれています。特に、理数系強化の指針が明確に打ち出されて、ようやくわが国も覚醒したか、と期待が膨らみました。ところが、それを具現化する立場の現場の教育機関(で働く管理職や教員)が、学力低下は「ゆとり教育路線」による知識の軽視によるものと単細胞的な思い違いをしてしまいました。「ゆとり教育」が悪かったと批判していれば、何となくカッコがつくというか、教育者としての体裁が保てると感じたのでしょう。いかにもわかりやすそうな言葉を批判の対象にしたがる傾向は、教育者の脊髄反射のようなものです。「ゆとり教育」による知識不足が学力低下をもたらしたのではなく、教育者サイドが社会構造の変化を受け入れられなかっただけの話なのです。かくして、教育現場では、分厚い教科書が復活し、いまだに昭和マッチョ的詰込み学習の実現こそが最良の指導であるとの幻想のもと、日々格闘を余儀なくされているわけです。ダチョウが砂場に頭を突っ込んで、じたばたしている表現がまずぴったりといった状況ですね…(次回に続く)


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